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大阪地方裁判所 平成4年(ワ)6557号 判決 1997年6月25日

原告

X

右訴訟代理人弁護士

中山厳雄

田中文

被告

Y

右代表者代表役員

Y1

右訴訟代理人弁護士

石井通洋

夏住要一郎

間石成人

主文

一  被告は原告に対し、金五五〇万円及びこれに対する平成四年八月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用中、鑑定料は被告の負担とし、その余はこれを五分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し、金三〇八八万円及びこれに対する平成四年八月一二日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が、昭和五八年三月一五日に被告の経営するY2病院(以下、「被告病院」という。)において、ヒステリーをてんかんと誤診され、その後平成三年四月に至るまで被告病院での通院治療を余儀なくされたとして、診療契約の債務不履行ないし不法行為に基づく責任があるとして逸失利益、慰藉料及び弁護士費用の損害賠償を請求している事案である。

一  争いのない事実等(争いのない事実の他は、認定に供した証拠を()内に表示)。

1  原告は、昭和二四年一一月三日生まれの女性であり、被告は大阪市東淀川区で総合病院である被告病院を経営している。

2  原告は、昭和四九年一一月貴金属加工業を自営していたZと結婚し、昭和五〇年に長男、昭和五三年に次男、昭和五五年に三男をうけ、大阪市内の延べ一五坪程の住居兼作業場二階で一家五人で暮らしていた<省略>。

3  原告は、昭和五八年三月一五日、被告病院脳神経外科において、A医師(以下、「A医師」という。)の診察を受け、A医師は、原告をてんかんと診断した。

4  原告は、昭和六三年一二月に日本生命保険相互会社(以下、「日本生命」という。)との間で利益配当金付終身保険契約を結んでいたが、平成二年二月、原告の過去及び加入時の健康状態に関する重要な事実の告知義務違反を理由に日本生命から右保険契約のうち新災害入院特約及び新入院医療特約について解除された<省略>。

5  原告は、昭和五八年三月一五日より平成三年四月に至るまで、被告との間の診療契約に基づき、被告病院に通院し、てんかん治療の薬剤投与及び定期的な検査を受けた。

6  原告は、平成三年四月三〇日、A医師の指示で、被告病院内科に入院し検査を受け、右入院検査の結果、原告は神経症(ヒステリー)であると診断された。

二  当事者の主張

1  原告の主張

(一) 被告病院のA医師は、原告が家庭環境などからくるストレスに起因する神経症の様相を呈していたのであるから、神経症と診断すべきであったのに、臨床症状においても、脳波検査においても明確な所見がなかったにもかかわらず安易にてんかんと診断し、その後八年間にわたり、漫然と抗てんかん剤を投与し続けた過失がある。

(二) 原告は、被告病院の右誤診により、精神的ショックを受けるとともに、無益かつ有害な通院治療を余儀なくされ、抗てんかん剤の長期大量投与によるものと思われる意識消失発作・転倒事故を繰り返すなどの精神的苦痛を受けた。

更に原告は、前記保険加入時にてんかんを告知しなかったことにより、新災害入院特約及び新入院医療特約を解除され、解除後の入院について保険金八八万円の支給を受けられなかった。てんかんとの誤診がなければ、てんかんの不告知による解除はなされなかったものであり、右損害は、被告病院の誤診によるものである。

(三) よって、原告は、被告に対し、右診療契約の債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償として金三〇八八万円(慰藉料二七〇〇万円、入院給付金相当額八八万円、弁護士費用三〇〇万円)及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成四年八月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  被告の反論

(一) 原告は、初診時、A医師に対し、昭和五七年一一月頃から急に意識を失う発作により転倒し、倒れた瞬間に気付いてその後はすべて正常に戻るということが見られるようになり、右発作が一日に二回程度ある旨を説明した。そのため、A医師はてんかんとの印象を持ち、他疾患との鑑別のため頭部CTを実施したが異常はなかった。更に、昭和五八年三月一九日に実施した脳波検査においては、異常は認められなかったものの、意識消失発作が二、三日に一度の割合であるということから、A医師はてんかんが最も疑わしいと考え、抗てんかん剤(当初はデパケン、翌年七月頃からはバレリン)の投与を行い経過観察を行ったところ、時々ふうっとすることはあるが、服薬中であれば意識消失発作は起こらず、けいれん発作もなく、転倒することもないとのことであったので投薬治療の効果が上がっているものとして治療を継続したものである。

脳波検査においても、当初の脳波検査においては異常はなかったものの、昭和五九年五月八日に実施された脳波検査においては、わずかな頻度ながらてんかん患者にみられる棘徐波複合様の波形がみられた。抗てんかん剤を投与しているにもかかわらずこのような脳波所見が見られたことは、臨床上てんかんとの診断を支持するものといえる。

したがって、原告は初診時よりてんかんであったのであり、A医師に何ら誤診はない。

なお、原告は平成三年四月の検査入院の結果、ヒステリーと診断されているが、原告は平成二年七月頃までは、抗てんかん剤で発作は抑制されていたのであり、その後、従来投与してきた抗てんかん剤では抑制できない発作が発現してきたものである。このことから、平成二年七月頃までの発作と、それ以降の発作は、薬物治療に対する反応の点で従前とは異なっている以上、異なるものと考えられ、原告の当初のてんかんは寛解ないし治癒したものと認められるものであるから、原告が検査入院の結果ヒステリーと診断されたことは、原告が初診時からてんかんであったことを否定する根拠とはなり得ない。

(二) また、新入院医療特約等の解除については、被告の受診事実の不告知によるものであり、原告がヒステリーと診断されていても解除されていたものであるから、原告主張事実と新入院医療特約等の解除に基づく損害との間には因果関係は存しない。

二  争点

1  原告が、被告病院で治療を受けている当時、原告はてんかんであったのか、ヒステリーであったのか。

2  原告が、被告病院で治療を受けている当時、ヒステリーであった場合、A医師が原告をてんかんと診断し治療を継続したことにつき過失があったか否か。

3  損害額

三  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

第三  争点に対する判断

一  本件診療経過について

証拠<省略>によれば、以下の事実が認められる。

1  初診時及び初診に伴う検査状況等

(一) 原告は、本件診療以前、特に問題となる既往症はなかったが、昭和五七年一〇月頃から、急に倒れるようになった。その際の態様は、原告が倒れることを事前に把握し、その後、三ないし五秒程度地面にへたりこみ、その直後立ち上がるというもので、顔面等に怪我をすることもあった。

この当時、原告の次男は幼稚園への登園拒否の状態にあり、更に、原告は自宅が狭いので原告の父から贈与された吹田の土地に家を建てて転居したいとの希望を持っていたが、このことについて、原告の夫と意見の相違があるなど、原告は家庭内の問題から精神的にかなり疲弊していた。

原告の次男は、その後も登校拒否が続き、登校拒否者等が入る施設に入寮した。

(二) 原告は、当初一〇日ないし一五日に一回のペースで倒れていたが、その後徐々に頻度が上昇し、昭和五八年二月頃には、三日ないし七日に一回のペースで倒れるようになった。そのため、原告は夫とともに、十三市民病院で受診し、同病院の紹介で、同年三月一五日被告病院において受診した。

(三) 被告病院において、原告は、まず内科を受診し、B医師が原告の診療にあたったが、同医師は、原告の説明に基づき「立暗みなし、意識清」と判断されること等から、原告がヒステリーである可能性を疑っていた。

(四) 次に、原告は脳神経外科で受診し、同病院院長のA医師が、原告の診療にあたった。この際、A医師は右内科の診療録は見ていなかった。

初診時、原告はA医師に対して、一日に二回程度、急に意識消失の発作があり転倒し、倒れた瞬間に気付き、直後は全く正常に戻る旨を訴えていた。

A医師は、原告が急に意識を消失し倒れ、その後急に正常になる状態が反復し、更に神経学的な異常が認められないということから、てんかんとの疑いを持ち鑑別診断として脳腫瘍を除外するため、造影剤を用いたCT検査を行い、正常範囲内との検査結果を得た。

更に、同医師は、てんかんとの診断を確定するために脳波検査を行うこととし、同年三月一九日に脳波検査を行ったが、脳波の異常は認められなかった。

2  初診後の状況及び二回目の脳波検査の状況

(一) 同年三月二二日より、原告に対し抗てんかん剤であるデパケンが処方され、その後、原告の発作の回数は一週間に一回程度に減少し、同年七月一日にテレビを消そうとして後頭部を打撲した以降発作は発生していなかった。

(二) 昭和五九年五月八日原告は再び被告病院で受診し時々ふっとすることがあるが倒れることはない旨を医師に伝え、デパケンが増量されるとともに同日脳波検査が行われた。同日の脳波検査では、棘徐波複合様の波を単発的にごくわずかな頻度で認め、A医師は正常脳波と異常脳波の境界域と診断した上総括欄のボーダーランイのところに丸を付けた。

(三) 同年六月二八日原告が被告病院で受診した際、吐き気を訴えたため、C医師は採血し薬剤の血中濃度を確認した。同年七月二四日には、抗てんかん剤がデパケンから同一成分の別薬品であるバレリンに変更された。

3  三回目の脳波検査の前後の状況

(一) 同年一一月一三日、原告は被告病院で受診し、時々フーとすることがあるがが倒れることはない旨をA医師に伝えた。

翌昭和六〇年一月八日原告は被告病院で受診し、同月七日に軽い発作があったが倒れることはなく意識消失もなかった旨をA医師に伝えた。

(二) 同年二月五日には再び原告の脳波検査が行われたが、異常は認められなかった。しかし、同年三月五日にA医師は脳波の所見を正常からボーダーラインの範囲内であると判断した。

(三) その後、同年六月二五日の受診の際、原告は、一週間前に小発作があり意識消失はないが、頭部に外傷を負った旨を申告したが、それ以外にはけいれんないし発作は発生していなかった。

4  その後の原告の発作状況及び精神的悩みの告知状況等

(一) 昭和六二年六月二九日、原告は一回小発作をおこし、翌日原告は被告病院でA医師の診察を受け、右事情を説明するとともにいろいろ精神的に心配な事がある旨を伝えた。

(二) 同年一〇月八日に原告は被告病院で受診した際、A医師に九月頃一、二回発作がありその後は発作がない旨伝えた。

昭和六三年一月二一日、原告は意識消失を伴わない転倒をし顔面を打撲することがあり、同月二六日にはA医師の診察を受け、右事情を説明した。

同年三月一四日、原告は自転車を元の位置に戻そうとして柱に左前頭を打撲し出血したことがあったが、意識消失及び吐き気はなく被告病院で受診し治療を受けた。

(三) 同年四月一九日、原告は被告病院のD医師に対して、三月二四日に夫が脳出血で入院し、そのことで大変である旨及び発作が起こっていない旨伝えた。

同年五月九日、原告は被告病院で受診し、E医師に対して夫が病気で私も病気だから民生委員に相談したい旨及びけいれんがない旨伝えた。

同年六月七日、原告はA医師に対してけいれん発作がない旨及び夫が脳梗塞で入院中である旨伝えた。

(四) その後、しばらくの間原告に発作は発生していなかった。

(五) 同年一〇月二八日には、原告は夫を亡くし、同年一二月二〇日その旨をA医師に伝えるとともにけいれん発作がない旨を伝えた。

(六) 同年一二月二二日、原告は被告病院のE医師に対し、左頭頂部に時々しめつけられる痛みがある旨伝え、同医師は原告が非常に神経質になっている感があると判断した。

5  平成元年以降の受診状況等

(一) その後、原告に発作は発生していなかったが、平成元年一〇月三日原告は被告病院で受診し、A医師に対し階段で足をあげる時フラーとすることがある旨を訴えた。

(二) 同年一二月五日には原告は子宮ガンの手術をするため被告病院に入院しその後手術を受けた。

(三) 平成二年三月六日、再び原告の脳波検査が行われたが、棘徐波複合様の脳波は見られず、ボーダーラインとの診断がなされた。

(四) 同年四月九日午前九時三〇分頃原告は後頭部を打撲して頭部外傷を負い、吹田市民病院で受診したが、その後心配になり被告病院で受診した。

(五) 同年五月五日には原告は柱の角で頭を打って後頭部に約四センチの切創ができ、被告病院で受診した。

6  平成二年七月頃以降の受診状況等

(一) 原告は同年七月末頃から急に転倒することがあり、同年八月二八日に被告病院で受診し、A医師にその旨及び意識消失がない旨を訴え、A医師はバレリンの量を増量した。

(二) 同年九月四日、原告は被告病院でA医師の診察を受けた際、二日前にフーとすることがあった旨を訴え、同医師はもう一週間様子を見てまたフーとすれば入院の上精査することを考えた。

(三) 同年九月一一日、原告が産婦人科で診察待ちをしている時に発作があり、原告は転倒して右後頭部を打撲し、一瞬意識を消失することがあったためA医師の診療を受けた。

(四) 同年九月一三日、原告は被告病院で受診し、F医師に対し意識消失の発作が多くなった旨訴えた。

(五) 同年九月一六日、原告は被告病院でD医師の診察を受け、小さなけいれんがこの一週間で一回あった旨訴えた。

(六) 同年一一月一三日、原告は被告病院でA医師の診察を受け、同医師に対し、立ち上がるとき一瞬意識を消失し、その状態が二、三秒続くことが一週間に一回程度ある旨を訴えた。

(七) 同年一二月一一日、原告は被告病院でA医師の診察を受け、同医師に対し第二子が学校に行かない旨を訴え、同医師は原告に精神的ストレスがある旨認識した。

(八) 平成三年二月一日、原告は、自転車を押している時に転倒して顔面を打撲したが、同月五日A医師にその旨を説明し、A医師は抗てんかん剤であるエクセグラン一錠を試みに投与した。

(九) 同年三月五日にも原告の脳波検査が行われ、散発性棘波は認められたものの、棘徐波結合は認められず、ボーダーラインとの判断がされるとともに、エクセグランが二錠に増量された。

同年三月二六日、原告はエクセグランの投与について、D医師に吐き気、嶇吐や食欲低下を訴えたため、エクセグランの投与は中止された。

(一〇) この間(初診時から神経内科受診時まで)原告は月に一回程度の割合で被告病院脳外科を受診し抗てんかん剤の投与を受けるとともに、三か月ないし六か月に一回程度の割合で薬剤の血中濃度の検査を受けた。

7  内科への検査入院状況等

(一) 同年四月一八日原告はA医師の診療を受けた際、症状に変化が見られないことから、神経内科のG医師(以下、「G医師」という。)に原因を精査し糾明してもらうこととなり、原告は同月三〇日被告病院内科に入院した。

(二) 原告は、主に精神科の医師による諸検査を受けた後、同年六月一二日に内科を退院した。退院時の主病名はヒステリーと診断された。

(三) 平成三年七月三日、G医師は、原告が加入していた保険会社である日本生命の担当者に向けて、原告が昭和五八年当時からてんかんではなく、その症状は精神的な原因で生じたものであったと診断される旨の報告書を作成した<省略>。

A医師も同月二三日、保険会社に提出するために、原告の傷病名をてんかんから神経症に訂正する旨の診断書を作成した<省略>。

(四) 原告は、同年九月一七日から、被告病院神経科に入院し、同年一〇月三〇日退院するまでヒステリーの治療が行われた。

(五) その際、原告の発作は抑制された。

二  てんかんとヒステリーの鑑別方法について

証拠<省略>によれば以下の事実が認められる。

1 てんかんとヒステリーの鑑別は困難であるが、てんかん患者においてはその七〇パーセントないし八五パーセントの患者に異常脳波が現れるため、異常脳波の有無がてんかんか否かを判断する重要な要素となる。

2 更に、てんかんの場合には発作時に意識消失が見られるのに対して、ヒステリーによる発作の場合には意識消失が見られないか、見られるとしても軽度であり、意識消失の有無、程度もてんかんとヒステリーを鑑別する際の重要な識別点となる。

3 発作時に障害を負うか否かはてんかんとヒステリーを鑑別する際の一つの識別点ではあるものの、通常、外傷を負う場合には意識消失をしている場合が多いために識別点となるのであり、この場合にも発作時の前後の記憶の有無を確認することにより意識消失の有無を判断でき、記憶がある場合には意識消失はないといえ、たとえ外傷がある場合でも、てんかんと診断する識別点とはなりえない。

三 原告の被告病院受診時の病名について

前記認定事実のとおり、被告は、受診時にA医師に対して、倒れる瞬間に気付くと延べていることから、倒れる前後の記憶がはっきりしていたと認められ、更に鑑定の際の入院時にも、原告は転倒時の事をほとんど覚えていると述べていること(鑑定の結果)から、被告病院受診当時、原告には意識消失発作はなかったものと認められる。

更に、前記認定事実のとおり、脳波検査においては、一度棘徐波複合様の脳波を単発的にごくわずかな頻度で認めたのみで、その他の脳波検査においては、異常は認められておらず、鑑定のための入院中にも異常脳波は認められていない(鑑定の結果)。

抗てんかん剤投与の効果についても、前記認定事実によると、抗てんかん剤投与中に、昭和五九年には二回、同六〇年には二回、同六二年には二回、同六三年には二回、平成元年には一回、同二年には八回にわたり転倒ないし転倒しそうな状況に陥った旨の申告が原告からなされており、右申告に係る事実が認められるところ、右事実及び木下証言、鑑定の結果を総合すると抗てんかん剤が有効に機能していたと認めることは困難である。

また、前記認定事実のとおり、原告が受診した当時、原告は、子供の登園拒否や住居移転の問題について夫との間に争いがあり、精神的な悩みを持っていたのであり、その後も、次男の登校拒否により精神的苦痛が伴っていたもので、こうした家庭内での事象と原告の症状発生との間には関連性があったものと認めることができる<省略>。

右各認定事実からすると、原告は、被告病院受診当初から、意識消失発作を起こしておらず、脳波検査においても顕著な異常を認めず、更に、原告は常に精神的な苦痛を有していたことからして、原告は、被告病院受診当初からてんかんではなくヒステリーーであったと認められる。

この点、被告は、原告は平成二年七月以降ヒステリーによる転倒が始まったもので、それ以前はてんかんであったと主張する。しかし、前記認定事実のとおり、原告には平成二年七月以前からてんかんに典型的に見られる所見は認められず、また、初診時より長期間にわたり抗てんかん剤を投与しつつも発作が完全には収まっていないことから、抗てんかん剤が有効に機能していたともいえない。症状についても、前記認定事実によれば、平成二年七月以降発作の回数が増えたことは認められるものの、発作の態様自体が変化したとは認められない。右各事実からすると、平成二年七月以前はてんかんであったが、その後ヒステリーによる転倒が始まったとの被告の主張は採用することができない。

また、証人A及び証人Gは、ヒステリーであると診断された報告書<省略>ないし診断書<省略>について、原告の家族に求められて保険会社に提出するために記載したものに過ぎない旨供述する。しかし、前記認定事実のとおり、G医師作成の報告書には原告が昭和五八年当時からてんかんではなくその症状は精神的な原因で生じたものであった旨の記載があり、A医師作成の診断書についても傷病的をてんかんから神経症に訂正する旨の記載があること、通常、医師が保険会社に提出する予定の書類について、事実と異なる報告書ないし診断書を作成するとは考え難いことからすると、A医師及びG医師は右報告書ないし診断書を作成した当時、原告が当初からヒステリーであったとの認識を有していたものと認められ、右認定に反する右各供述は採用することができない。

四  A医師の過失の存否について

前記認定事実によれば、てんかんとヒステリーの鑑別は困難ではあるが、その鑑別方法は存在し、脳神経外科の医師にも右鑑別方法についての知識はあるものと推認できること、更にてんかんが重大な疾病であること(顕著な事実)から、てんかんと疑われる患者の診察にあたる医師としては、たとえヒステリーの専門家たる精神科医でなくとも、ヒステリーである可能性を疑い慎重に診断にあたるべき注意義務が存するものと認められる。

本件においては、前記認定事実のとおり、初診時内科医はヒステリーの可能性を疑い、またA医師も、原告から倒れる瞬間に気付く旨を聞き、発作時に意識消失がなかったことを推認できる事実の申告を受けていたほか、脳波検査においても異常が認められなかったことが認められるものの、てんかん患者のすべてに脳波の異常が認められるものではないことや、原告から意識消失しているとの表現で申告があったこと、原告の知的能力が劣り、医師が原告の訴えを正確に判断することが困難であったこと(鑑定の結果)からすると、初診時にA医師が確定的にてんかんでない旨の診断をなすことは困難であったというべきであるから、とりあえずてんかんと判断し、投薬を開始したとしても、医師としての裁量を逸脱したとまではいえない。したがって、この段階でA医師に過失を認めることは困難である。

しかし、A医師としては、明確にてんかんであるとの所見が認められていたわけではないのであるから、ヒステリーである可能性も疑い、慎重に経過観察を行うべき注意義務があるというべきところ、前記認定事実によると、昭和五九年末から昭和六〇年初頭にかけて、原告からフーとする旨及び軽い発作を起こした旨、更には意識消失がない旨の申告があり、同年二月五日に行われた脳波検査においては、異常脳波が認められなかったのであるから、少なくとも脳波検査を確認した同年三月五日段階では、自らのてんかんとの診断を疑い、ヒステリーを念頭において患者から精神状況を聴取した上ヒステリーの専門家たる医師の診断を受けさせるなどの措置をなすべきであり、右の措置がとられていれば原告がてんかんではなくヒステリーである旨の診断が可能であったにもかかわらず、同医師は脳波所見を正常とボーダーラインの中間と判断し、漫然とてんかんの投薬治療を継続していたもので、同医師には医師としての注意義務に反した過失があると認められる。

したがって、A医師には、不法行為責任があり、被告は右医師の使用者として使用者責任を負うべきである。

五  薬剤投与による副作用の有無

原告は、A医師による投薬中止後、転倒発作が収まったことから、原告の転倒発作はA医師が投与した抗てんかん剤が原因である旨主張するので、右主張について検討する。

前記認定事実によると、被告病院医師は、原告に抗てんかん剤が投与されている間、三か月ないし六か月に一回程度の割合で薬剤の血中濃度の検査を行い、原告が吐き気の申告を行った後には、投薬を中止するなど、投薬の副作用に対する監視を十分行っていたと認められる。

更に、薬剤投与による副作用の場合には、意識障害が長時間にわたる<省略>のに対して、本件の場合は、前記認定事実とおり、薬剤投与後も瞬間的な発作が起こっているにとどまることから、薬剤の副作用の発現の仕方と異なるものと認められる。

したがって、原告の転倒発作は、薬の副作用によるものではく、ヒステリーによるものであったと認められ、原告が抗てんかん剤の投与を中止後、転倒発作が収まったのは、精神科における原告の治療の結果ないし原告が精神的に落ち着いた状態になったためのものであると認めるのが相当である。

六  損害額について

1  逸失利益について

原告は、A医師の誤診により、原告が加入していた新災害入院特約及び新入院医療特約が解除され、解除後の入院期間に相当する保険金額を受け取ることができず損害を被った旨主張するが、原告は保険契約締結の際、被告病院での受療事実を告知しておらず<省略>、たとえ、誤診がなされず、受療の病名がヒステリーと診断されていたとしても、原告が受療の事実を告知していない場合には、原告の締結した保険契約は、告知義務違反を根拠に解除されていたと推認でき、告知していた場合には契約条件が変更されるか契約が締結されていなかったのであるから<省略>、原告の右損害とA医師の過失行為との間に因果関係があるとは認められない。

この点、原告は、ヒステリーは告知すべき事項にあたらない、又は告知事項にあたるとしても原告は自分がヒステリーであることを知らなかったのであるから、告知しなかったことについて故意又は重大な過失は認められず、契約は解除されていなかったはずであり、A医師の過失行為と保険契約解除に基づく損害との間には因果関係が認められると主張する。

しかし、商法六七八条の「重要ナル事実」とは、保険者がその事実を知っていたならば契約を締結しないか、契約条件を変更しないと契約を締結しなかったと客観的に認められるような、被保険者の危険を予測する上で重要な事実をいうものと解されるところ、ヒステリーであるか否かは、少なくとも契約条件に影響を与えることは明らかであり、「重要ナル事実」にあたるといえ、告知すべき事項と認められる。また、被告病院医師の誤診がなく原告がヒステリーと診断されていた場合には、原告は自分がヒステリーであることは了知できたのであるから、原告に故意又は重過失がないとする原告の主張は理由がない。

2  慰藉料について

原告は、A医師の右過失行為により、昭和六〇年三月から平成三年四月に至るまでの六年間以上もの長期間にわたり、ヒステリーを重篤な疾病であるてんかんと誤診され、精神的ショックを受けるとともに、その間、無益な通院治療を受けざるを得ない状況となり、重篤な副作用の発現はないものの、副作用の危険性のある薬剤を投与され続け、更にはてんかんと診断されたことにより社会生活上も多大の制約を受けてきたことは想像に難くなく、更に、ヒステーとの診断に基づいて適切な診療を受ける機会を奪われたこと等の事情を考慮すると、その精神的苦痛を金銭的に評価すれば金五〇〇万円は下らないものと認められる。

3  弁護士費用

本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、五〇万円と認めるのが相当である。

七  結語

したがって、原告の請求は、金五五〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成四年八月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲で理由があり、その余は理由がないから、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官前板光雄 裁判官大西忠重 裁判官島崎邦彦)

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